所長メッセージ
私が大学生であった1980年代、我が国のスポーツ医学はまだ黎明期にありました。肘を故障した投手は海外での手術を選択し、運動中の水分摂取を禁止する指導者も少なくありませんでした。脳振盪に関する取り扱いも今日とは大きな乖離あり、受傷した選手の頭部・顔面にヤカンで水をかけて刺激を与え、頭を振りながら競技復帰する選手は拍手で迎えられる、そんな時代でした。運動中の心臓突然死や熱中症による死亡、慢性外傷性脳症(いわゆるパンチドランカー)も散見されていたものの、それに対する系統的な予防の取り組みはなされておらず、偶発的に発生した不幸な事例という認識にとどまっていたように思います。とはいえ、このような事例はたとえその頻度は少なくても、社会的インパクトは極めて大きく、ましてや、義塾の学生に起きてはならないことだという気運が学内で高まった時代でもありました。
スポーツを科学的視点で捉え、障害(いわゆる怪我)予防のみならず、スポーツ中に起きる様々な事故への対応やそれを予防するための啓発活動、そして、スポーツによる健康増進を通じて、塾生、塾員、さらには日本国民の生活の質の向上に寄与する。そのような理念のもと、1989年、初代所長山崎元先生よってスポーツ医学研究センターは設立されました。私は8代目の所長になりますが、今もこの理念はしっかりと受け継がれています。専門知識を持った医師、検査技師、保健師が、競技力向上や運動中の事故予防のために様々な測定や支援を行なっています。
また、スポーツ外傷や体調不良に関する初期対応のほか、競技復帰に向けたアスレチックリハビリテーションにも力を入れており、日吉という立地のメリットを生かし、体育会に所属する選手の皆さんが気軽に相談に来ることができる、ユーザーフレンドリーな施設でありたいと考えています。
一方、近年、社会がスポーツに求めるものは大きく変化しました。日本オリンピック委員会選手強化本部が掲げる標語、「人間力なくして競技力向上なし」にもあるように、本物の一流の選手になるためには、強さとともに、インテグリティ(高潔さ、誠実さ)、知性、規律などが求められます。これはトップアスリート、学生アスリートを問わず言えることでしょう。スポーツ医学研究センターではこの変化に対応すべく、障害予防のための講座やHPを通じた情報発信、ならびに、他施設や外部講師と協力してスポーツインテグリティ向上を支援する系統講義(体育研究所設置科目)にも参画しています。これら一連の活動は選手のみなさんのアスリートIQを高めることにつながると考えます。
また、世の中の人口構成の変化から、高齢社会のおける運動や身体活動の重要性がますます強調されるようになりました。体を動かすことが健康増進につながることは万人の認めることですが、その現場実装は必ずしも簡単ではありません。この課題を解決すべく、我々の施設では大学院健康マネジメント研究科の学生を受け入れ、様々な研究活動や現場実装のためのチャレンジを行なっています。また、昨今、世界的にも注目されているSDGsの視点からスポーツを捉え、多様なステイクホルダーと協力して、KEIO SPOTS SGDsセンターを立ち上げました。"Play Us. Play Universal"を標語として掲げ、スポーツの価値を高めるとともに全ての人にとって持続可能なものとすべく、多くの取り組みを行なっています。 スポーツを広義に捉え、競技力向上だけでなく、多様な社会のニーズに対応した教育、研究、臨床そして情報発信を行うことが我々の使命だと考えています。活動の詳細については是非、当施設のHPならびにリンクのURLをご覧ください。活動内容に興味がある学生のからの問い合わせも歓迎しています。